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越後製菓株式会社 の求人情報

越後製菓株式会社

  • 製造業

新潟県長岡市呉服町1丁目4番地5


企業レポート

企業情報


会社名越後製菓株式会社
本社所在地〒940-8622
新潟県長岡市呉服町1丁目4番地5
TEL.(0258)32-2358(代表)
創業昭和22年
設立昭和32年3月28日
資本金2億3,400万円
代表取締役山? 彬 (やまざき あきら)
星野 一郎 (ほしの いちろう)
主要営業品目餅類、米菓、米飯、麺類、惣菜類
社員数800名

沿革


1946年故取締役名誉会長山?正が郷里小千谷の特産品「小千谷そば」に着目し、
小千谷市鴻の巣町において「茹出しそば」を製造。
長岡市内の各事業所・官庁に販売をはじめる。
1947年長岡市呉服町(現本社)に工場を建設、現在の基盤となる。
1951年合資会社山?製麺所設立。
資本金30万円。
乾麺の製造を開始。
1953年雪国に於ける乾麺製造は不適とし廃止。
この年米菓の製造を開始。
1957年合資会社山?製麺所を発展的に解消。
越後製菓株式会社を設立。
1962年本社米菓工場が火災で焼失。
1964年本社に生麺工場(鉄筋コンクリート3階建)を建設し、製麺設備の近代化をはかる。
1967年資本金300万円に増資。
新潟県学校給食委託加工工場の指定を受ける。
1970年本社製麺工場(鉄筋コンクリート5階建)を増築。
生麺製造の充実をはかる。
1972年小千谷市高梨町の工場用地買収に着手。
1973年中小企業構造改善事業第一次計画により、三条市の有限会社星野製菓所と合併。
小千谷市高梨町に10,000?の工場用地を取得し、高梨第一工場を設立。
包装餅の生産を本格的に開始。
1974年中小企業構造改善事業第二次計画により、さらに高梨工場の用地買収を進める。
1975年包装切り餅増産のため、業界に先がけクリーンルーム工場の高梨第二工場を建設(構造改善事業完了)。
資本金2,500万円に増資。
1977年無菌化包装餅「クリーンパック」シリーズを発売。
大きな反響をもたらす。
資本金3,500万円に増資。
1978年長岡市永田町に永田工場を設立、
「ライスヌードル」「焼きそば」の専門工場とし、麺類製品の拡充をはかる。
1979年北魚沼郡川口町の工場を買収し、川口工場を設立。
米菓・包装餅の増産を開始。
「生かきもち」を発売。
生切り餅「田舎もち」の発売を開始。
業界に先がけた商品として注目を集め、生切り餅が市場へ台頭する先鞭をつける。
1980年長岡市原町に原町工場を設立。
本社製麺工場を改築。
麺製品の充実を計る。
包装餅増産に備え、高梨第三工場の建設に着手。
資本金4,500万円に増資。
「生まるもち」を発売。
1981年資本金9,000万円に増資。
1982年長岡市内製菓会社より営業権の譲渡を受け、宮内工場とする。
東京駐在所を東京営業所に昇格し、埼玉県草加市に開設。
長野駐在所と札幌駐在所を開設。
1983年最新鋭技術を導入した高梨第三工場「包装餅製造クリーンルーム工場」落成。
資本金18,000万円に増資。
1984年小千谷市内製菓会社より営業権譲渡を受け、片貝工場、小国工場を設立し、米菓製品の増産体制整う。
関西営業所・東北営業所・名古屋営業所を開設。
札幌駐在所を札幌営業所に昇格。
青森・郡山・岡山・福岡・長崎・鹿児島に各駐在所を設置。
無菌化個装餅「越後生一番」シリーズ本格的に発売。
資本金23,400万円に増資。
1986年川口工場の生産能力倍増のため増改築。
1987年米菓の焼きたて、揚げたて商品の直送新シリーズ「越の伝承」などを発売開始し、大きな反響を呼ぶ。
郡山営業所・広島営業所を開設。
1988年米飯製造無菌化ライン増設。
小千谷市片貝にトータル直送システムを備える片貝工場を着工。
1989年片貝工場第一期工事を竣工。
神奈川営業所、北陸営業所を開設。
1990年川口工場の増産のための大規模改築工事を行う。
徳島県に四国駐在所を開設。
日本経済新聞社「優秀先端事業所賞」授賞。
1991年山?彬代表取締役社長に就任。
島根県に松江駐在所を開設。
十日町市に鏡餅増産のための十日町工場を新規開設。
無菌化個包装餅の増産のためラインを高梨工場に増設。
1992年片貝工場に隣接する庭園「越風馨」を開園。
(株)越後天風を創業設立し、ギフト用商品を展開。
越後食品(株)に惣菜製造新工場を竣工。
高知市に高知駐在所を開設。
日本経済新聞社「優秀先端事業所賞十周年記念特別賞」授賞。
1993年高梨工場に無菌化個包装餅の生産ライン増設。
総合研究所内に世界最高レベルの超高圧試験装置を導入。
1994年新潟県経済振興賞を授賞。
第22回全国菓子大博覧会にて名誉総裁賞を授賞。
高梨工場に無菌化包装餅の生産ライン増設。
長岡市呉服町の本社新社屋新築工事着工。
東京都心に首都圏営業部を開設。
1995年本社新社屋新築工事を竣工。
片貝工場第二期工事着工。
高梨工場に寒づくり餅製造のため、極急冷ラインを設置。
沼田工場を開設。
1996年沼田工場に精米プラントを設置。
鏡餅の基地を沼田工場に新築。
1997年片貝工場第二期工事竣工。
鏡餅「橙付150g」を発売。
翌年以降「燈付」が鏡餅の主流になる。
1998年日本食品科学工学会「技術賞」授賞。
高松営業所開設。
1999年CM放映開始(高橋英樹氏出演)。
沼田工場米飯ライン本格工事開始。
旭川工場(野村製菓内)開設。
太宰府工場開設。
2000年沼田工場超高圧処理米飯「越後のごはん」本格生産開始。
山谷工場開設。
超高圧処理米飯「越後のごはん」各賞授賞。
三方、末広を組み立て済とした個包装もち入り鏡餅「楽楽お飾り」を発売。
2001年社団法人ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞優秀賞」授賞。
日本食糧新聞社選定「新技術・食品開発賞」授賞。
山?彬代表取締役会長、星野一郎代表取締役社長に就任。
高梨工場にて、業界初の品質システムISO9001を取得。
2002年沖縄県に沖縄駐在所を開設。
2003年高梨工場ISO9001を2000年版に移行。
無菌包装餅「ふっくら名人」を発売。
2004年特許の有効活用により知財功労賞として「経済産業大臣賞」を受賞。
食品の高圧処理技術の開発が評価され山?彬会長「文部科学大臣賞」を受賞。
経済産業省推進事業IT経営応援隊で「IT経営百選最優秀賞」を受賞。
2005年東京・大阪で初の「商品展示説明会」を開催。
米菓「ふんわり名人きなこ餅」を発売。
無菌包装餅「越後生一番」商品にふっくらカットを採用。
超高圧無菌包装米飯韓国事業開始。
2006年片貝工場ISO9001を取得。
鏡餅「押すだけポン160g」発売。
米菓「ふんわり名人ごまだれ餅・チーズもち」発売。
2007年日本プロバスケットボールリーグに所属するアルビレックスBBを、
OFFICIAL UNIFORM SPONSORとして応援フリーピストン技術の開発を基礎に
高圧処理米飯プラントの技術供与をした東遠F&B牙山工場(韓国)が本格稼働。
『食の高付加価値化に資する基盤技術の開発』が科学技術振興機構の
「地域結集型研究開発プログラム」(超高圧を利用した食品加工技術の開発と商品化)に採択された。
ふんわり名人・2007年下半期M1F1グランプリ(?MediaShakers企画)においてHotPepper特別賞を受賞。
・第26回食品ヒット大賞(日本食糧新聞社制定)において「優秀ヒット賞」《菓子・パン部門》を受賞。
2008年「ふんわり名人きなこ餅」新製品人気コンクール菓子部門第1位。
(サミット(株)主催)沼田工場ISO22000を取得。
低アレルゲン化小麦のヒト摂取試験で、摂取安全性が確認された。
無菌包装餅「チーズ餅」「まるでつきたて餅」を発売。
2009年小千谷工場開設。
(敷地面積150,000?)。
山?彬会長が「食品産業功労賞」(農林水産省後援)を受賞。
「ふんわり名人きなこ餅」が「世界が認める輸出有望加工食品40選」(農林水産省主催)に入選。
食品産業CO2削減大賞(農林水産省補助事業)で「優良賞」を受賞。
川口工場ISO9001を取得。
米菓「越後のあわ雪」「うまい!堅焼き」を発売。
宮内工場米飯ライン有機JAS工場として認定。
2010年小千谷工場米飯ライン着手。
宮内工場小麦の低アレルゲン化設備を稼働。
高梨工場敷地内に三碩人の頌徳碑を建立。
米菓「かちわりの種」「ころころミルク」を発売。
低アレルゲン化小麦のパン・麺・菓子などの販売を開始。
鏡餅「干支」「招き猫」を充填タイプから丸餅個装入りにリニューアル。
2011年伊藤満敏代表取締役社長に就任。
小千谷工場日本のごはん試験販売開始。
生一番をリニューアル「エージレス入り個包装タイプ」になる。
米菓「こんぶと黒豆のめぐみ」発売。
日東あられ新社の「サラダセブン」「ひなあられ」「味千両」を越後製菓で生産、販売開始。
非常用・備蓄用ごはん、切餅(賞味期限5年間)を発売。
2012年小千谷工場日本のごはん2ライン目増設工事完了。
十日町工場ISO9001を取得。
個包装餅の賞味期限を製造後2年に延長。
2013年星野一郎代表取締役社長に就任。
「日本のごはん」が日本食糧新聞社制定第二六回「新技術・食品開発賞」受賞。
「日本のごはん」がパックご飯としてエコマーク商品第一号に認定。
(日本環境協会エコマーク事務局)第二六回全国菓子大博覧会が広島で開催。
「かちわりの種」と「こんぶと黒豆のめぐみ」が全菓博栄誉大賞と金賞を受賞。
2014年「日本のごはん」のCM全国放映開始。
(高橋秀樹さんと高橋真麻さんの共演)「ふくしま浜街道・桜プロジェクト」に全社員が参加。
千本の桜の苗木を植樹した。
2015年「High-PressureSupport株式会社」を設立。
「越後生一番」にダブルバリア包装を導入。
鏡餅の個包装容器に「とうもろこし澱粉」が主原料のバイオマス容器を導入。
2016年株式会社みながわ製菓より「とうがらしの種」などの商標権の譲渡を受けた。
熊本地震の災害支援で、パックご飯48,000食を納品。
岡田ひとみさん監修による、干支フィギュアを載せた鏡餅を発売。
2017年越後製菓の切餅が宇宙航空研究開発機構(JAXA)で「宇宙日本食」として認証された。
株式会社みながわ製菓より商品ブランドを引き継いだ「とうがらしの種、わさびの種、山椒の種」を販売。
濃厚な味わいの黒蜜ショコラをコーティングした、「ふんわり極名人黒みつきなこ」が新登場。
2018年表沢川河川改修事業に伴い、元中子工場を閉鎖。
鏡餅生産ラインを高梨工場へ移設。
片貝工場が食品安全管理規格のJFS-B規格に適合。

企業理念


品質方針/食品安全方針:安心して食べられる食品を作ること。

米どころ越後生まれの本格米菓、昔ながらの心と風味を今に伝えるあられ、せんべい。
吟味を重ねた越後米と吟醸醤油を用い、丹念に焼きあげた一枚一枚は、噛むほどにほのぼのとした情緒が広がります。米菓一筋、越後の6社の伝統を受け継ぎ、ふるさとのおいしさを守り続けているのです。
また鮮度は、おいしさの基本。『味の追求』シリーズでは、焼きたて、揚げたての風味を全国のお客様にお届けしております。米菓を工場からお店に直送し翌日には店頭に並ぶという画期的システムを完成させました。現在、全国約4,000店で展開し好評を博しています。

(※越後製菓理念の越後製菓五訓より)

代表者メッセージ


越後製菓株式会社の存在理由は、“社会に役立つ企業となる”ことに尽きる

若葉を切り取り、適度な土におろすと何時かは、大木になります。 大木になる総てのノウハウの絵巻が一枚の葉に一巻だけでなく何億と散りばめられている予感は古代からありました。 人も同じように卵子、精子にだけでなく、全細胞にDNAが散りばめられていて、人を形作る遺伝情報を持ちながら、それぞれが形を構成し手、指、足、心臓、血液、などの仮の姿として働いています。

産業革命が始まった頃、私たちは“宇宙とは何か、地球とは何か、生命とは何か”ということについて、観念的な組み立て以外、科学的にはほとんど何も理解していませんでした。 しかし200年を経た今、私たちはそれらの基本的なシナリオを書ききろうとしています。 人間が文明を持ち始めてから六千年間、到達できなかった人間の根源的な存在理由<レーゾンデートル>を、わずか二世紀半、特にここ2、30年の間にかなり把握できるまでになりました。

翻って“越後製菓株式会社”の新世紀での、存在理由<レーゾンデートル>は如何でしょうか。 私は、やはり“社会に役立つ企業となる”ことに尽きると思います。 それを具現化するには、“食品における安心、安全、そして健康への寄与”“自然の仕組みを探求し本質を尊び、謙虚に学ぶ”ことが必須です。 そして人の営みとして当然のように“互いを尊ぶこと”“活力を持ち、自分自身を磨き広く見聞を求める”ことが大切です。 これが会社とのコミュニケーションをはぐくみ、業務への活力に繋がると思います。 この想いは、当に“越後製菓五訓”であり、これを咀嚼し、反芻し、世紀の存在理由<レーゾンデートル>を辿る企業存続の責務を遂行しつつ、その答えを解く本当の喜びも期待しながら新たに社業に邁進する所存です。

今後共、皆様方のご指導ご鞭撻を賜りますよう衷心よりお願い申し上げ、私の挨拶とさせて頂きます(越後製菓株式会社 代表取締役社長 星野  一郎)。

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